The News Alley

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童話「おおきな木」シェル・シルヴァスタインを読んで号泣する、いろんな意味で。

童話「おおきな木」は作:シェル・シルヴァスタイン、 訳: ほんだ きんいちろうの往年の名作と思われる絵本だ。

ちなみに、訳は村上春樹版もあるらしい。

コロナのせいで、ステイホームが叫ばれ、子供に読書させようとしたが、読む気がなさそうなので、わたしが読み聞かせをしたところ、途中から涙で字がかすみ、号泣・・・。

 

100万回生きたねこ以来の号泣っぷり。

しかしながら、感動の号泣ではない。

  

【おおきな木/シェル・シルヴァスタイン/ほんだ きんいちろ】

 

童話「おおきな木」のあらすじ

童話「おおきな木」のあらすじはこうだ。


おおきな木は幼少期の少年と出会い、少年は大きな木が大好きで、いつも大きな木で楽しそうに遊ぶ。

そして、少年が遊んでくれることは大きな木にとって、何物にも代えがたいほど、嬉しいことだった。

しかし、少年はやがて大きくなり、かつてあんなに遊んだ大きな木のところへは行かなくなってしまう。


少年はいつまでも、子供ではない。
大きな木で、遊ぶことはなくなるだろう。

ここまでは、少年と大きな木のいい話だ。

しかし、大きくなった少年がやってきて、買い物したいが、お金がないからおこづかいをくれという。


大きな木はお金本体を生み出すことはできない。


しかし、大きくなった少年のために、木に実っていたりんごを売ればお金が手に入ると助言する。


すると少年はりんごをすべてもっていってしまう。

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大きくなった少年はまたしばらくやってこない。

大人にになった少年は嫁と子供が欲しいので家がいるといい、おおきな木は自分の枝で、家を作ればいいと助言する。


すると大人になった少年はすべての枝をもっていってしまう。

大人にになった少年はまたしばらくやってこない。

老人になった少年は人生がつまらなく、どこか遠くへ行きたいので、船が欲しいといい、おおきな木は自分の幹で、船を作ればいいと助言する。


老人になった少年はさっさと木を切り倒し船を作っていってしまう。


ついにおおきな木は切り株だけになってしまう。

老人になった少年はまたしばらくやってこない。

やがて、よぼよぼの老人になった少年がおおきな木にやって来るが、もう、おおきな木にはかつての少年にあげられるものは何もなかった。

しかし、かつての少年はもうよぼよぼの老人である。


疲れたというよぼよぼの老人になった少年に大きな木は、もう何もあげられるものはないけれど、切り株にこしかけて休めばいいと助言する。


もう、かつての少年は疲れたので、何も欲しいものはないという。

よぼよぼの老人は助言通り、おおきな木の切り株に腰かけて、休む。

きは それで うれしかった・・・

で、物語は終わる。

 

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童話「おおきな木」の考察と感想

童話「おおきな木」はいろいろな解釈ができる、童話だと思う。

おおむね、木が少年に与える無償の愛を称賛する感想が多い。

しかし、号泣しながら子供に読んだとき私は

ふつう、いくらくれるとはいえども、りんごも木の枝も、ましてや木の幹までも、躊躇なく全部持っていくかよ?!

しかも、ずっとこないくせに、金(もの)が欲しい時ばかりやって来るとか、酷い。

かつての少年の、屑っぷりに、たかり根性っぷりに泣けてしまい、しかたなかった。

そして、そんなかつての少年に、何かしてあげたいという気持ちがいっぱいで、要求されるままに欲しいものを与え続ける、やさしい虐待を繰り返すしかすべのない、おおきな木に、非常にやるせなく、悲しい気持ちを感じた。



大きな木は何かを少年にあげると、

きは それで うれしかった・・・

と必ず、モノローグが入る。

だが、1回だけ、ちょっと違う。

 

きは それで うれしかった・・・


だけど それは ほんとかな。



それは少年に木の幹をやった後のモノローグである。

解釈はいろいろだろうけど、大きな木は、今まで、幸せになってほしいから、文字通り身を削って、いろいろなものを少年にあげた。

しかし、ちっとも幸せそうではない、しかも、たかり根性ばかりが身についてしまった少年を見て、あげればいいってもんじゃないと、幹をあげたときに気が付いたのではないだろうか。

そう、おおきな木は欲しいものを与え続けていては、かつての少年は成長しない。

自ら困難を乗り越え、欲しいもを自らの手で手に入れなければ成長しない、むしろ自分が安易に与え続け、そのチャンスを奪ってしまったのかもしれないと悟ったのではないか。

 

しかし、気が付いた時には遅すぎた。


最後に、また、かつての少年は現れ、もう何もいらないといい、木の幹に腰かけて休む。
おおきな木にはもう、切り株で休ませてやることしかできない。

 

きは それで うれしかった・・・(終わり)


おおきな木はいろいろなことを考えて後悔しているのかもしれない。


でも、もう、ただの木の幹になってしまったおおきな木と、よぼよぼの老人になった少年に、あまり未来はない。

だから、ほんとうにかつての少年が帰ってきてくれたことが、ただ、ただ、うれしかったのだろう。

 

そんなおおきな木の想いを考えるとあまりにも、切なかった。

 

【おおきな木/シェル・シルヴァスタイン/ほんだ きんいちろ】

 

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